【旅164日目】現存12天守の松山城は市民に愛されるお城だった
10/2(水) 雲り一時雨
おはようございます。友人宅で起床!雨が怪しい感じだし、風も強い向い風・・・戦略的停滞としました。笑
久しぶりに松山に戻り、街をぶらぶらしていこうと思います。それでは元気にいってみよー୧(๑•̀ㅁ•́๑)૭✧
・・・
ということで二度寝してお昼前に再度起床します。
朝はさくっとカレー、そしてビールも。自転車に乗らないと決めたら早速ダメになってしまいましょう。(*´▽`*)
しかしコッヘルでお米を炊こうとなると水に浸して火力を調整して、焦げないよう傍について・・・となかなかに大変。ですが炊飯器という文明を使えばスイッチ一つで芯のない美味しいご飯が炊けてします。電気や物品の少ない不便な自転車旅をしていると、当たり前の凄さを何度も感じさせられます。
ほろ酔い気分で松山を散歩しましょう。
松山城
松山市と言ったらやっぱり現存12天守の1つ、松山城でしょう!街のシンボルです。
城山公園
三の丸の跡は公園として整備され、市民の憩いの場となっています。ちなみに、愛媛マラソンの集合もここ、1万人が集まります。(*´з`)
二の丸
こちらの中は庭園になっています。
城は松山市の中心部、標高132mの勝山に築かれているので、登っていきます。石垣も色々な積み方があるみたいでで、、、まだあまい興味がないので勉強していませんが、素人目に見ても明らかに異なる積み方をしていたりして、再建された時代とかを照らし合わせると面白いのかもしれません。
城内には1600年前後の建造物がそのまま残っている場所もあり、なかなかに見応えがあります。
10分強で本丸のあった山頂まで到着。
松山の街並み、そして瀬戸内海が一望できます。この景色が好きで、松山に住んでいる時ランニングがてら良く来てたな~。短期間ではそれほど景色は変わりませんが、江戸時代はどんな景色だったんだろう。
天守閣
松山城は関ヶ原の戦いで活躍した加藤嘉明(賤ヶ岳 しずがたけ の合戦において七本槍の一人としても有名)が初代藩主となり、慶長7(1602)年から築き始めた城です。その後寛永4(1627)年に会津へ転封されることになりました。
蒲生氏を経て寛永12(1635)年、伊勢国桑名城主であった松平定行が松山藩主15万石に封じられて以来、14代世襲して明治維新に至りました。現存12天守の中では唯一親藩が建築し、葵の御紋(丸に三つ葉葵)が付されたとても貴重な城郭なんです!
江戸時代に入って改築が許可されたのも恐らく親藩だからだろうし、廃城にも戦火にも負けなかったお城・・・これからも大切にされると良いな。姫路城のような派手さはないけど、勝山の上に築かれて石垣も堅牢で、現代においても地元の人が気楽に来ているような、いいお城だな~としみじみなりました。(*´з`)
下山は東雲神社の方へ降ります。これもいつものランニング通り。懐かしいな~。
ロープウェーやリフトもあるので気軽に登れます。
・・・
夜は繁華街へ飲みに行きます。
松山の中心街、大街道へ。四国一の繁華街です!これは深夜に撮ったものなので人通りは少ないですが、この辺りは大学も多いので特に週末は凄く活気があります。
夢の家で乾杯!
〆の炎のプリン!上で燃えていたのですが・・・カメラの腕不足で伝わらず。( ;∀;)
こんな感じらしいです。笑
リアルには初めましての方々でしたけど、とても楽しく良い時間でした!ありがとうございます。(*´▽`*)
解散して2軒目へ。北山軒。
ここは松山で50年以上続く老舗。なかなかパンチの効いたお母さんがされていて、初めて迷い込んで入った時に「若い子は礼儀がなっていないからダメ」とお断りされかけたことも。笑 それ以来なんとなく来てしまうようになっていました。なにか松山名物が食べられたりするわけじゃないんですけど、お母さんと話しているのが心地いいんですよね。そしてこの真っ黒なおでんの玉子!笑 白身は固くなっているんですけど黄身が柔らかくて美味しいんです。(*´з`) なんか松山に帰ってきたな~という感じがします。
楽しく飲んで久しぶりの松山を満喫しておやすみなさい。( ´O` ) ~.。o。゚
台風18号による雨の影響はあまりなく、風だけで済みそうです。まだまだ松山は名残惜しいですが、明日から時計回りに四国を進んでいきます。また帰ってこよう!
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朝食
昼食 カレー
夕食 2000 宴会 夢の家 北山軒
宿泊 松山友人宅
使用金額 2000