【旅139日目】急登!薩埵峠からの絶景と家康の作った駿府城へ
9/7(土) 晴れ
おはようございます。
今日は朝から快晴!6時には起きて湿ってたまま突っ込んだテント類を乾燥させつつ食事を食べます。
富士山は今日も綺麗に見えていました。夏の雪を被っていない富士山って少し違和感を感じます。
1時間程度で完全に乾いたので出発!それでは元気にいってみよー୧(๑•̀ㅁ•́๑)૭
・・・
由比宿東枡型跡
宿場の出入り口は枡型に折れ曲がり、木戸が作られ、万一の攻撃を防ぐなどの治安維持とともに、宿の出入り口の道標にもなっていました。その面影が道路に残されています。
由比本陣公園
本陣の跡が観光案内所と公園になっています。
昔の由比宿の街並み。街道に沿って沢山の建物が並んでいたことが分かります。そしてその周りは田んぼばっか。( ᷇࿀ ᷆ )
正雪紺屋(しょうせつこうや)
紺屋(染物屋)は江戸初期から続くと言われています。この建物は180年ほど前のものとのこと。
土間に埋められた藍瓶。これで半分とのこと。
約60年ほど前まで実際に使われており、中には藍の青が残っています。
慶安事件(浪人が激増する世の中に不満を抱え、幕府の転覆と浪人の救済を目的に江戸城を襲撃しようとした。計画は露呈して自決。)で有名な由比正雪はこの紺屋の生まれと言われています。
気に入ったので手拭を購入しました。カワイイ柄でしょ!由比は桜エビが特産で、オリジナルの手拭です。注染という染め方をされていて、両面に柄がありました。
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再び自転車を漕いでいきます。
通りの名前になるくらい、桜えび推し!
食べたかったですが今は漁期じゃないみたいなので、また次回にします。
(さったとうげ)という、難所に向かいます。ここは景色が良いことでも有名なんです。
小池邸
小池家は江戸時代、代々小池文右衛門を襲名して寺尾村の名主(年貢の取り立て・管理、戸籍事務など)を代々務めていました。
建物は明治時代のものですが、綺麗に保存されています。
庭の作りなど、当時を感じさせます。
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細い、所々昔の街並みが残っているところを走るのは楽しいです。
そうこうしているうちに、峠の入り口へ。
横には一里塚があります。
そして・・・
激坂です。( ´•д•`; )
ダンシング(立ち漕ぎ)でゆっくり、なんとか登れる限界でした。そこまで距離がないのが助かった。
しんどかったのは間違いないですが、20分程度で峠に到着。
良い天気だ~!
ここから少し移動して展望台へ。
東海道、東名高速、東海道(電車)の道が交差し、そこに海と空の青、緑がとても綺麗!
縦構図の方が奥行きと高さを感じて好きかも!
ここは歌川広重が由比の地を描いた場所です。今でも景色が綺麗なので有名!
どことなく当時の雰囲気を残しています。そして富士山は昔も今も変わらず美しいです。(*´▽`*)
細井の松原
昔は沢山の松が生えていたが、昭和19年に松根油採取のため伐採されました。その時多量の人骨が出て、東海道で倒れた旅人を埋葬されたものと推察されました。
旧東海道記念碑
駿府(すんぷ)城
綺麗で、徳川家康縁の有名な城があるので行ってみます。東海道は色々とドラマのある場所ですから。(*´з`)
まずは資料館へ行き歴史を勉強します。
亡くなる1年前の家康。目力があります。
近くにある臨済寺で幼少時代に家康(竹千代)が学んだ部屋の復元。
天井の龍がとても立派でした。
家康は岡崎の松平家に生まれますが、当時栄えていた今川家9代義元の人質として7歳(1549年)から12年間を駿府で生活します。
戦国騒乱の世、1568年に10代今川氏真は甲斐の武田信玄に攻められ、駿府の町は焼き払われます。1582年に家康が駿府の武田勢を攻め、駿河国を領土とします。1585年から駿府城の築城をはじめ、1589年に完成させますが、翌1590年に豊臣秀吉によって関東に移封されます。関ケ原に勝利し、1603年征夷大将軍となりって江戸幕府を開いた家康は1605年将軍職を2代秀忠に譲り、大御所として駿府に戻って町づくりを行い現在の静岡市の原型を作りました。
日本で最初にきちんと計画的に町づくりを行ったところだそうです。
天守は火災で落ちてしまいますが江戸を凌ぐ、日本一の天守だったと言います。普通の天守は3階ほどで小さいものなので、いかに大きなものだったかが分かります。
当時の鯱
青銅製、堀の中に埋まっていたので戦争で持っていかれなかったそうです。鯱は火避けの意味がありますが、ここのものは優しい顔をしている気がします。
駿府の工芸品の数々。
この技術がプラモデル(バンダイ、タミヤ)の制作にも生かされているそう。面白いなぁ~!
久能山東照宮の紹介。
家康の遺言で、久能山に葬られました。二代目秀忠の命で社殿が作られます。1年後に日光東照宮に移された・・・と勉強したのですが、移ったのは魂だけで遺骸がまだこちらに眠っているとのこと。地下200m以上の場所に葬られているので、堀り起こすことはしていないだろうとおっしゃっていました。
ところで今川義元ですが、あまり良いイメージはないですよね。
足が短くて馬に乗れなかったとか関ケ原の負け方とか・・・。笑
ですが良いところも沢山あり、竹千代(家康)をとても大切にしていたと言います。義元の生誕500年(だったかな?)もあって、イメージを回復すべく色々な展示をしてあり面白かったです。
外には立派な家康の銅像がありました。
今は天守閣の研究がされており、その様子を見ることが出来ます。
200円で無料のガイドまでしてくださり、とても楽しくお城を見学することができました。家康って有名だけど、あまり知らなかったのでとても勉強になった。これから浜松、岡崎と縁の地にも行きますし、楽しみです!
駿河国総社 静岡浅間大社
近くの大きな神社を御参拝します。
大拝殿は重要文化財、高さ25mもありとても大きく立派です!
静岡浅間神社は神部神社・浅間神社(二社同殿)及び大歳御祖神社の三社を総称していいます。
神部神社は第十代崇神天皇の御代、約2100年前に駿河開拓の祖神・駿河の国魂の大神として鎮座され、この地方最古の神社である。
浅間神社は延喜元(901)年、醍醐天皇の勅願により富士山本宮より分祀されました。
大歳御祖神社は応神天皇4(273)年に、古代この地方の物流の拠点、商業の中心地であった「安倍の市」の守護神として創祀され、静岡市の地主神です。
お詣りして社務所に寄るとお茶がいただけました。
静岡県産の茶葉を使って入れているらしく、とても美味しかったです。ありがたいな~。
この日はお祭りがあるらしく、準備で賑わっていました。まだまだ夏だなあ~!
・・・
駿府城、静岡浅間大社とだいぶ時間をとってしまいまいしたので、急ぎ目に進みます。
宇津ノ谷峠を越えて岡部宿へ到着。
静岡の真ん中あたりまできました。
こちらも180年ほど前に建てられたものがそのまま残っており、凄く良い雰囲気です。縁側がとても気持ちよさそうだ。(*´з`)
大井川を越えます。
一里塚跡
ここから大井川鉄道が出ています。小さいころ、アプト式の大井川鉄道に乗りたくて連れてきてもらったな~。懐かしい気分になります。
ですが、ここから急坂。越すも越されぬ大井川・・・旧東海道難所の一つです。今日は何度ダンシングすればよいのだ・・・。
頂上にはトンネルがありました。
ちなみに右側はバイパスのもの。近くに東名高速もあるのに、自転車の通れないバイパスばっか・・・。不満!笑
この後事任八幡宮(ことのまま)にご参拝しましたが、長くなりましたので明日の記事にしようと思います。
その近くの道の駅掛川へ行きます。ここはなんと24時間開放の休憩室があって冷房も付いている。さらにコンビニまである凄い道の駅でした。峠を三つも超えたので疲れたぜ・・・。
ご飯食べて飲んで、ブログ書いておやすみなさい!
明日は掛川城に寄って台風から逃げようと思います。
秋の台風シーズンだなぁ~・・・。
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<データ>
出発地 沖東公園 7:15
到着地 道の駅 掛川 18:00
走行距離 96.15
総走行距離 7530.71
平均速度 17
最高速度 49.5
獲得標高 677
<支出>
朝食 うどん
昼食 パン
夕食 469 メンチカツ弁当 豆腐 パン
飲料 310 コーラ スプライト
酒 201 ビール
道の駅 掛川
使用金額 1480