【旅82日目】網走監獄で北海道開拓の歴史を学ぶ
7/12(金) 曇り 東の風強め
おはようございます。
駅長の家で起床します。8時前に目が覚めたのですが、もう他の皆さん出発済み。早いですね。。。
窓からは列車や線路が見えます。こうやって保線をしていたんですね。全盛期には人がホームに乗れないほど活気があったとのこと。この光景からはなかなか想像できませんね。
曇り予報だったのですが、少し太陽が見えています。気温も上がり気持ちよく自転車を漕げそうです。網走方面を目指して、それでは元気にいってみよー୧(๑•̀ㅁ•́๑)૭✧
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お世話になった管理人さんと少しお話して9時ごろスタート。本当に良くしてくださり、感謝です!
北勝水産 帆立バーガー
10kmほど漕いで朝ご飯がてらこちらへ。
サロマ湖畔にあり、オホーツク海などで採れた海産物の販売と加工を行っているお店の直売所です。
美味しい帆立バーガーが食べられます!2個入りと3個入りがありますが、、、迷いなく3個入りを選択!(*´з`)
2Lの特大帆立貝柱が3つも入っています。帆立が美味しいのは勿論、タルタルソースが絶妙に合ってとても美味しかったです!( ゚Д゚)ウマー
国道沿いを走っていると"直売"看板がとても目立つので、通った際は是非!
サロマ湖
左手に大きな湖を見ながら漕いでいきます。
琵琶湖、霞ケ浦に次いで、日本で3番目に大きな湖なんです。汽水湖としては日本最大です。向こう側が見えませんですからね!
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網走までサイクリングロードが整備されていたので、こちらを走りましょう。
湧網線の廃線跡を利用したサイクリングロードです。所々にわずかに痕跡を見ることが出来ます。
サロマブルーを見ながら走る気持ちのいいサイクリングロード・・・らしいのですが、ひたすらこの光景!時折林や民家の間、海沿いを通過するので晴れててスピードの出るロードレーサーならば気持ちがいいのでしょうが、なかなか辛い。5分で飽きます。笑
どうやら自転車を漕ぐのはあまり好きじゃないよう。( ´•д•`; ) しんどいし身体痛いし、思うように勧めないし。風や雨、太陽の暑さなど天候に左右されます。自転車でするのって、なにか利点あるのかな?笑 それは終わってみて、もしかしたら少し時間が経ってからではないとわからないものかもしれないですね。やろうと思ったら誰にでも出来ると思いますが、本当にやる人って少ないと思います。達成感?出会い??旅も半分に到達しようとしています。今後の事も含めて少しづつ考えていかないとです。
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今度は右手に網走湖が見えてきました。
風が強く湖面が荒れて水も濁ってますね。( ᷇࿀ ᷆ )
ホワイトハウス
40年以上続く網走の名店でお昼ご飯を食べます。
店構えから、なんだか懐かしい感じがします。
店内は昼過ぎでしたが一杯でした。
厨房は1人でキリモリされています。とにかく手際がよい!見ていて飽きません。
頼んだのはビーフとコンビ丼、1400円です。
見た目のインパクトが凄い!ウニとイクラとステーキが一気に楽しめます。
海鮮の鮮度はやはり地で食べるのには劣りますが、九州に住んでいる身からしたらこの値段で食べれるのは凄いと思います。ご飯大盛を頼んだら、丼に入らないからと別皿でモリモリのライスを出してくださいました。まぁヨユーで食べられます。笑 お肉は薄目、100g程度だけど、ガーリックとオニオンのソースが美味しい!大満足でした!
カウンターで食べていたらお隣の方がお支払いをしてくださいました。あまり何をして頂いたとかはブログに書いていなかったのですが、旅をしていると本当に様々なところで声をかけて貰えるし、色々地元のお話や隠れた名所名店などのオススメ、差し入れなど頂いてしまいます。嫌なことを言われたことなど1度もないし、本当にありがたく、漠然としていますが日本て良い国だなと思います。旅が終わって社会に復帰したら何か恩返し・恩送りができるように考えていかないとな、と思います。
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お腹も満たされ、網走駅へ到着。
な、なんだか駅構えからして監獄のような雰囲気です。
珍しい縦書きの表札。
網走刑務所で刑を終えた元受刑者達はほとんどが網走駅から列車に乗って故郷に帰って行きました。「この縦書きの看板のように、横道にそれることなく、まっすぐに歩んで生きて行って欲しい。」との願いが込められて縦書きになったと言われています。
網走監獄
満を持して、楽しみにしていた網走監獄へ行きます。
それでは入所してきます!(*´з`)
鏡橋を渡ります。
「川面に我が身を映し、襟を正し、心の垢をぬぐい落とす目的で岸を渡るように。」と、鏡橋と呼ばれるようになりました。川は一面蓮に覆われていて、全く反射しませんでしたが。笑
網走監獄と北海道開拓は密接に関係があります。
昔の木の柵。
作り直された壁。
ロシア帝国の南下政策に対抗し、北の防備を固める為、蝦夷地を開拓する必要がありました。そのため囚人苦役諭、すなわち「元々暴戻(ぼうかい)の悪徒であって、尋常の工夫では耐えられぬ苦役に充て、これにより斃(たお)れても、監獄費の支出が減る訳で万やむを得ざるなり」という金子堅太郎の発想によって囚人が送り込まれました。1881年に樺戸に集治監が置かれたのを皮切りに、空知、釧路、網走、帯広に設置され、これらを拠点として道路開削、屯田兵屋建設、農地開拓、石炭や硫黄の採掘など、様々な開拓事業に使役されましたが、かなり無理な使役を強いられ、道路開削の際は、網走から離れるにつれて食料が無くなり、工期を守るため昼夜を徹して作業が行われました。
組み立て式の木造休憩所を作ったり壊したりして寝床を確保していました。
枕は丸太!硬くて眠れるのか?これを叩けば一気に全員が目を覚ましたそう。
220人あまりの囚人・看守の犠牲のもと、ようやく総延長724kmの道路が完成しました。「死ぬな!生きて網走に帰ろう!」看守が囚人にかけた言葉だと言います。
あまり知られていない事実ですね。私も北海道開拓は屯田兵によるものだと思っていました。監獄開拓⇒屯田兵開拓⇒移住民開拓と、囚人たちの労働なしには今日の北海道はなかったのだと知りました。
庁舎
看守の家
狭く、かなり質素な暮らしだったようです。
二ポポ
北海道でよくみる像です。カワイらしい。
北方民族の守り神で、木の小さな子・人形という意。どんな願いでも叶えて幸せになるという意味があります。網走市の民芸品として、網走刑務所の受刑者が制作しているそうです。
囚人のなることもできます。
さて、私はどれでしょう?
人形が本当によくできています!沢山人が居る中で着替えてカメラをセットしてセルフタイマーで・・・。よくやるぜ。笑
有名な5方向に伸びている、重要文化財の木造舎房です。
中央の見張り所からあらゆる方向が見渡せます。
柵は菱形で、換気や暖房に配慮しつつ向かい房同士が見通せない工夫がなされています。
廊下を歩く看守からは斜めに見え、監視と確認が出来ると言う訳です。
内部はやはり狭いですね。
網走の冬は本当に寒いと言います。ストーブが設置されていましたが、それでも氷点下になっていたそうです。
3人部屋の様子。
気が合わない人が居たら大変そうです。笑
独居房の方はまた雰囲気が重々しいです。
迫力ある。。。
レンガ造りの独居房。こんなところに一人で居るのは恐ろしい・・・。
教会堂
僧侶や牧師などの宗教者が刑務所を訪れ、受刑者に人の道を説き、犯罪ですさんだ気持ちを和らげ、厚生へと導きました。
網走監獄の見学料は1080円とややお高めです。ですが、道東に来たら絶対1度は訪れるべきです。開拓の様子や当時・現在の受刑者の様子が雰囲気と共に良く分かります。2時間程度で見られるそうですが、3時間以上じっくり見てしまい、ようやく釈放されました。大満足!
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少し自転車を漕いでいきます。だいぶ遅くなってしまった・・・。
大空町へ入ります。
この辺も長閑。牧草ロールが大量に転がっていました。
明日・明後日は天気が崩れる予報。14日に弟子屈(てしかが)で予定があるのでそれまでに行けばオーケー。天気見つつ、この旅初の本格停滞も考慮するかな~。
雨に濡れなさそうなところを見つけたので、適当にシートを敷いておやすみなさい。( ´O` ) ~.。o。゚
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<データ>
出発地 計呂地交通公園(駅長の家) 9:10
到着地 女満別運動公園 19:00
走行距離 85.27
総走行距離 4654.7
平均速度 19.1
最高速度 44.9
獲得標高 435
<支出>
朝食 ゆで卵 パン
夕食
食料品 1039 カツゲン クッキー ポテチ パン おにぎり 弁当
買い食い 450 北勝水産 帆立バーガー
観光 1490 網走監獄(1080) 監獄ステッカー(410)
宿泊 女満別運動公園
使用金額 2979