【旅30日目】天下無双の難所、親不知を超えて
5/21(火) 雨のち晴れ
おはようございます。昨日は深夜から雨が降り始め、朝はなかなかの豪雨でした。
道の駅の情報館2階のフリースペースに許可を得て寝かせて頂きました。暖かいし雨当たらないし人も来ないしで快適でした。ありがとうございます。
10時ごろには雨も止んで晴れ間が見えます。それでは今日も元気にいってみよー୧(๑•̀ㅁ•́๑)૭✧
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朝起きてぐだぐだしていると、おじいちゃんが声をかけてくださいます。
75歳の方で、松尾芭蕉の旅した路を何回もに分けて旅をされてきたそうです。30年間乗った愛車で、今回が最後の旅。終わったら運転免許を返納されるそう。「人生は旅だ」とおっしゃっていました。
今日で旅を始めて30日、1か月が経とうとしています。沢山の出会いや偶然に恵まれて旅をしてくることができました。社会人を辞めました。旅は勤労の勤勉という国民の義務を怠り社会の歯車から外れた行為なのかもしれませんが、それを否定されるようなことは一度も言われなかった事は幸せなことなのかもしれません。凄く早かったようで、毎日不安や心配毎も沢山あり、全部自分のことは自分でしなくてはいけず、本当に大変だったと思います。ただそれ以上に、今までの人生で一番充実して濃密な毎日を過ごせていたと思います。正直細かいことまでは覚えきれませんし、自分の備忘録として、そしてこの経験を誰かへ提供・共有できたらなと思います。ブログは本当に大変ですが、出来るだけリアルタイムで続けていきたいです。
親知らず
この壁にへばり付くような道路!ここが富山側から見た親知らずの入り口です。
親知らずは北アルプスが日本海に沈みこむ場所で険しい道が10kmも続き、昔から交通の難所として知られてきました。この物騒な名前、きちんと由来があります。約800年ほど前に平頼盛(平清盛の弟)の妻が、越後に居る夫のもとへ行くのにこの地を通りかかった際、2歳の息子が波に攫われてしまいまいした。
親不知 子はこの浦の波枕 越路の磯の泡と消えゆく
と読みました。このことから親知らずと名付けられたといいます。
120年程前までは波打ち際を通ってきましたが(第1世代)、明治16年天皇が訪れたのを期に断崖を削って道が作られました(第2世代)。昭和27年にこの国道8号線が作られました(第3世代)。この国道は路肩がほぼなく、路面も荒れています。そのうえアップダウンが多くトラックが大量に行きかう為、チャリダー界では危険な道の1つとして有名です。以前は波が危なかったのですが、今は自動車が危険なのです( ´•д•`; )
トンネルの迂回路として整備された親知らずコミュニティーロード、旧第2世代の道を使っています。
途中でラーメンを調理していたおじいちゃんが居たので声をかけてみましたが、完全にスルーされました。肩まで叩いたのに、なんだったんだ・・・。( ;∀;)
如砥如矢(とのごとく やのごとし)と刻まれています。ここは親知らずで最も通行が困難で、「天下無双の難所」と言われた断崖絶壁です。明治16年にここを切り開く工事に尽力した富岳磯平(とみおかいそへい)は砥石のように滑らかで矢のように真っ直ぐであると刻み、喜びを表しました。
本当に断崖絶壁、険しい工事が創造できます。
日本の道100選に選ばれています。確かにここは交通の難所として歴史も作業過程も納得がいきます。
大正元年に竣工し、昭和40年まで使用されていた旧北陸本線の親不知隧道跡です。途中の階段を下りると行けたので行ってみました。
坑内は蒸気機関車の煤で汚れています。長さは668mで100年以上前のレンガ造りを体感できました。この辺りは何度も工事を重ねているので、様々な遺構をみることができます。
ウォルター・ウェストンの像です。宣教師で登山家でもある彼は日本の近代登山に大きく貢献した有名な人物です。1894年に親不知を訪れ、ここが日本のアルプスの起源であると著書で紹介しています。昨日の写真の位置ではなかったみたいです笑
海に突き出た北陸自動車道(第4世代)と洞門に囲われた国道8号線、その下方には恐らく旧道があったのでしょう。北陸自動車道とか、トンネルを掘ったり新に山を削るのは困難なのでこうして海の上を通しているんでしょうね。
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本当に命からがら親不知を抜けます。本当に怖かった・・・。
抜けるとだいぶ道は走りやすくなります。妙高戸隠連山が綺麗に見えます。本当にこの辺りの山々は雄大です。
糸魚川を過ぎると久比岐自転車歩行者道があります。これは上越まで32kmにもわたって専用道路があるのです!これは嬉しい、ボーナスステージのような感覚です。(*´з`)
この道路、大部分を旧北陸本線の線路跡を利用して作られています。廃線跡を自転車で走るのって、なんかワクワクします。トンネルなんて何個走ったか!楽しいです(*‘∀‘)
海にはトットコ岩があります。ニワトリという意味の方言で、そのニワトリに似た姿から名づけられました。確かにこれは見える!!夕陽と被ると綺麗そうです。
筒石の木造3階建て建築と舟屋
道中面白い街並みがあると聞き行ってみます。
筒石の木造3階建て漁村集落です。土地が狭かったのでしょう、縦に長く伸びた建物が建っています。
海の方に出てみます。
舟屋があります!京都の伊根で見たようなやつではなく、砂浜に作られています。
訪れた時は干潮のようです。ここはかなり干満の差があるんですね。
現在はほぼ使われていないようです。このように舟が吊られていたんですね。
海から突き出た電柱があります。もうここも放置されて久しいのでしょう。
地元の方とお話をすると、テレビの取材などはしょっちゅう訪れているそうです。プロ野球選手の金石投手も来たとおっしゃっていました。いつの話だ。笑
今はこちらの新港が使用されています。
隣の家との間隔が近く、現在では建築基準法に引っ掛かり作ることはできないでしょう。今日は古いもの巡りみたいになりましたが、こういうのってノスタルジーを感じて好きです。
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日もだいぶ落ちてきましたが、上越市に入りようやく田んぼを作れる平野に出ます。新潟といえばお米!そんなイメージの景色が現れます。本当に糸魚川は険しい土地なんだと改めて思います。
道路脇には防雪柵が作られています。今は暖かく快適な気候ですが、冬は地吹雪が吹き荒れるんですね。雪国だということ実感します。
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道の駅 よしかわ 杜氏の郷に到着します。ここは目の前に温泉がある施設・・・だったのですが、まさかの今日は休館!あーーお風呂が( ;∀;)
落胆しつつ、道の駅で働いているおばちゃんとお話します。道路や観光のことなどなど教えて頂きます。
ここの名産品らしいです。押し寿しをいただいてしまいました。
間に笹が挟まれて3段になっています。鮭や野菜が挟まれていました。お酒とよく合う・・・。お湯割りを飲みながらまったりブログを書きます。今日は冷えるなぁ、寒いので早めにシュラフに包まりおやすみなさい( ´O` ) ~.。o。゚
明日は新潟へ向けてさらに北上したいと思います。糸魚川の時点で新潟市まで130kmなんてとんでもない数字を見ました。どんだけ縦に長いんだ!( ´•д•`; )
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<データ>
出発地 道の駅 越後市振の関
到着地 道の駅 よしかわ 杜氏の郷 18:00
走行距離 84.67
総走行距離 1863.42
平均速度 17.4
最高速度 39.5
獲得標高 1383
<支出>
朝食 お茶漬け
昼食 760 すき家
夕食 おし寿し
食料品 426 豆腐 もやし うどん 蜂蜜 チョコレート
酒 977 黒霧島
買い食い 297 ドーナツ ポテチ
宿泊 道の駅 よしかわ 杜氏の郷
使用金額 2460